|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 法 : [ほう] 1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) ・ 住 : [じゅう] 【名詞】 1. dwelling 2. living ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 報 : [ほう] 1. (n,n-suf) information 2. punishment 3. retribution ・ 報恩 : [ほうおん] 1. (n,vs) repaying a kindness 2. gratitude ・ 恩 : [おん] 【名詞】 1. favour 2. favor 3. obligation 4. debt of gratitude ・ 郡 : [ぐん] 【名詞】 1. country 2. district
法住寺(ほうじゅうじ)は、忠清北道報恩郡にある仏教寺院である。韓国仏教の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第5教区本寺である。1624年に建立された捌相殿は韓国唯一の木塔〔法住寺(大韓仏教曹渓宗 ホームページ) 〕で国宝(国宝第55号)に指定されている〔2010年に忠清南道扶余郡で開催された『世界大百済展』用にロッテが建設したテーマパーク『百済文化団地』の百済木塔を数に加えると2つになる。〕〔扶餘に11階建て「百済木塔」を再現 中央日報2006年12月07日 〕。 ==歴史== 寺の創建は 553年(新羅真興王14年)とされている。天竺に渡った義信祖師が、553年に白い駱駝に経典を積んで帰国し、俗離山に仏法の道場を開いたという伝説があり、この伝説が553年創建の根拠になっている。 李氏朝鮮太宗の時代の1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、88の寺院だけが廃寺を免れたが、存続を許された曹渓宗の24寺の中に軍威法住寺という寺があり、法住寺だと思われる。世宗の時代の1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、36の寺院だけが廃寺を免れたが、存続を許された教宗の12の寺の中に忠淸道報恩俗離寺という寺があり、これも法住寺と思われる。 仏教は成宗・燕山君・中宗の時代も壊滅的打撃を受ける。その後復興するも文禄・慶長の役の際に建物は焼失した。1624年(仁祖2年)、碧岩大師によって寺は再建された。 日本統治時代の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「法住寺 (報恩郡)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|